
夕方、仕事の手を止めて外に出た。この時期は日が長いので、六時を過ぎてもまだ空が明るい。一日中パソコンの前に座っていた体が、なんとなく重い。目的もなく、田んぼのほうへ歩き出した。
家から少し坂を上がると、田んぼ一面を見下ろせる高台に出る。今の稲は膝より少し高いくらいで、風が吹くと全体が同じ方向にゆっくり倒れて、また戻る。
空を見上げたら雲が厚かった。今日は焼けないかもな、と思いながら歩いていたら、地平線のところだけがオレンジに割れていた。
AIの進化速度は、正直ちょっと異常だと思う
普段の仕事では、AIをかなり使っている。コードを書くときの相談相手にもなるし、長い議事録や指示書を整理してもらうこともある。
ワイヤーフレームのたたき台を作らせることもある。正直、助かっている。
ただ、その進化の速さがどうにも落ち着かない。半年前に覚えた使い方が、もう古いやり方になっている。新しいモデルが出た、こういう機能が追加された、という話が毎週のように流れてくる。
ひとつ試している間に、次のものが三つ出ている感覚。フリーランスという立場だと、それを追いかけないと置いていかれるような焦りもある。
便利になっているのは間違いない。でも、頭の処理速度のほうが追いついていない。
夕方に外へ出たくなるのは、たぶんその反動なんだと思う。
稲は、笑ってしまうくらい伸びない
歩きながら、ふと足元の田んぼを見る。
お米は、驚くほど伸びない。毎日のように同じ場所を通っているけれど、昨日と今日の違いなんてまったくわからない。
写真を撮っても、比べようがないくらい。
「今週中に十センチ伸ばして」なんて頼んでも、当然ながら無理だ。
でも、一週間、十日と経つと確実に変わっている。
田植えの頃の、水面にひょろっと突き刺さっていただけの苗を思い出すと、今の姿は別のもののように見えるのです。
速くする方法はないけれど、止まってもいない。
肥料も水の管理も、成長を早送りする道具ではなくて、育つ時間をちゃんと通過させるための手入れなんだと思う。
ここだけは、どれだけ技術が進んでも代わりがきかないです。

夕陽の沈む速度も、ずっと一定だった
高台に着いて、しばらく空を眺めていました。
分厚い雲の下、山のシルエットの向こう側だけが、細く長くオレンジに光っている。スマホを構えて何枚か撮った。撮っている間にも色が変わっていく。
さっきまで黄色に近かったところが、少しずつ赤みを帯びて、雲の縁が青く沈んでいく。
でもその変化に、急かされている感じはまったくしない。
夕陽が沈む速度は、たぶん自分が子どものころからずっと同じはず。
もっと速く、とも、もう少し待って、とも言えない。
倍速で見ることも、飛ばすこともできない。
ただそこに立って、変わっていくのを見ているしかない。
考えてみると、日常でそういう時間はかなり少なくなった。
動画は1.5倍速で見るし、文章はAIに要約させる。
短くできるものは、だいたい短くしてきた。
だから逆に、どうやっても短縮できないものの前に立つと、変な安心感がある。

高台の上だけ、時間がゆっくり流れている気がする
田んぼの緑と、遠くの家々の明かりと、鉄塔のシルエット。
それを10分くらい、ぼんやり眺めていた。
あとから振り返ると、あの10分だけ時間の進み方が違ったように感じる。
実際には同じはずなのに、不思議。
ここで大事なのは、AIをやめようという話ではないということ。
むしろ仕事ではこれからも遠慮なく使うつもりだし、効率化してくれたおかげで、こうして夕方に散歩へ出る時間が作れているのも事実だ。
進化のスピードそのものは、素直にありがたい。
ただ、その速さの中にずっと浸かっていると、自分の体感まで引っぱられてしまう。
だから、早送りできないものを一日のどこかに置いておく。
稲でも、夕陽でも、レコードの片面でもいい。
速くならないものに付き合う時間が、意外と効いてくる気がしている。
明日もたぶん、稲は伸びたかどうかわからないくらいしか伸びていない。
それでいいのだと思う。
夕暮れの田んぼは、今日も同じ速度で暗くなっていった。
それではまた次回!