
デジタル仕事の自分が、なぜアナログに戻ってきたのか
「戻ってきた」という言葉を、あえて使いたい。
ウェブの仕事をしている自分がレコードや古着の話を書くと、「デジタルに疲れてアナログに逃げた人」に見えるかもしれない。でも実際は少し違って、もともとアナログ側にいた人間が、長い回り道をして帰ってきた、という話だ。
今日は、その回り道のことを書いてみようと思う。
19歳、DJとレコードの日々
原点は19歳のときだ。DJを始めて、そこからレコードを集めるようになった。
レコード屋の棚を端から掘って、ジャケットを引き抜いて、試聴して、迷って、買う。あの一連の時間が好きだった。DJ文化ではレコードを探すことを「ディグ(掘る)」と呼ぶけれど、当時の自分はまさに掘ることそのものを楽しんでいたのだと思う。
つまり自分にとってアナログは、後から見つけた趣味ではなく、最初からそこにあったものだった。
波にのまれて、忘れていた
それがいつの間にか、遠くなった。
デジタルの仕事を続けていく中で、日々の波にのまれて、レコードのことを忘れていた。嫌いになったわけではない。ただ、思い出す隙間がなかった、というのが正直なところだ。
デジタルの世界で仕事をしていて、ずっとどこかに引っかかっていたことがある。データはたしかに残る。作ったものも、買ったものも、全部残る。でも、「物」として何かを手に入れた感じが、まったくしなかった。
物質を持つことの満足感。あれはデジタルでは、どうやっても得られなかった。当時はそれを言語化できていなかったけれど、いま思えば、19歳の頃に毎週感じていたはずの感覚が、生活からごっそり抜け落ちていたのだと思う。
針を落とした日
戻るきっかけは、シンプルだった。以前、大好きだったレコードを聞き返したことだ。
針を落とす。あの一瞬で、いろいろなことを思い出した。
データで聴く音楽と、レコードで聴く音楽は、同じ曲でも別のものだ。音質が違うのはもちろんだけれど、それだけではない。大きなジャケットを手に取って、盤を取り出して、針を落とすまでの一連の動作がある。ジャケットのビジュアルを眺める楽しみもある。音楽が「データ」ではなく「物」として、ちゃんと目の前にある。
同じ頃、古着にも同じ喜びがあることに気づいた。実物を手に取って、質感を確かめて、自分のものにする。画面の中では決して得られない、「物を得る」という手触りのある喜びが、そこにあった。

アナログは、仕事にも還ってきた
面白いのは、アナログに戻ったことが、本業のデジタルの仕事にも還ってきたことだ。
デザインを作るとき、背景や装飾といった小さなところに、アナログの質感を取り入れるようになった。紙の風合いだったり、少しかすれたテクスチャだったり。画面の中の仕事だからこそ、物質の記憶を持っているかどうかで、出てくるものが変わる気がしている。
デジタルとアナログは、対立するものではなかった。片方を深く知っていることが、もう片方の栄養になる。戻ってきてから、そう思うようになった。
まとめ:安い一枚からでいい
もし、デジタルに囲まれた毎日に何か物足りなさを感じている人がいたら、すすめたいことはシンプルだ。
レコードを一枚、聴いてみること。高い盤でなくていい。中古屋の安い一枚で十分だ。あるいは古着屋で、実際の「物」を手に取って、質感を確かめてみること。
データでは得られない満足感が、たぶんそこにある。ピンとこなければ、それはそれでいい。でももし何かを思い出すような感覚があったら、そこから掘っていけばいい。
このブログでも、これから掘り当てたレコードや古着のことを、少しずつ記録していく予定です。
それではまた次回!